つぶやき

双子の天使が 産まれた日
読売新聞「医療ルネサンス」母娘 一緒に向き合う
アロマセラピー(2)9/21
アロマセラピー(1)3/3
希望を見失いそうな時12/9
きっかけは 世界陸上10/12
心に寄り添って・・8/10
健康塾乳がん講座 6/10 
悲しみの共感 4/25 
春の陽ざしに 3/11 
世界がもし100人の村人だったら 1/29 
かあさんへ 12/8 
奈落の底で見えたもの 11/7 
抗ガン剤「感受性試験」 9/4 
手術室の記憶 7/7 
子宮ガン誘発のリスク 5/15 
新薬承認について 3/8 
緊急警告 コンピューターウィルス 2/18 
乳がん患者の憂鬱 11/6 
がん再発の遺伝子診断法 10/4 
全米ガン協会 8/17 
始めてのアンサンブル 7/14 
母の日のミニバラに学んだこと2 6/28 
母の日のミニバラに学んだこと 16/6 
思春期と更年期 5/15 
さくらさく 4/14 
読売新聞医療ルネサンスより 4/5 
健康診断 2/25 
雛飾り 2/13 
私を過ぎる風 2/1 
近況報告 1/21

双子の天使が 産まれた日

私には二人の娘がいます。
乳ガンの手術をうけた当時 9才だった次女キャロラインは今14才。
「乳ガンファミリーサポート☆キッズルーム」の管理人としても 活躍し 私のよき理解者として 私を支えてくれています。
そして 当時15才だった長女は2003年6月 19才で 双子を 出産しました。

自分自身が二人の娘を出産した時のことも 生涯忘れることのできない日ですが、乳ガンになって以来 孫の顔を見るまでは・・と がんばってきた私に 双子の孫達が産まれた日は 夢がかなった日でもあり また決して忘れることの出来ない 感激に満ちた日でもありました。

双子の孫達が産まれたとき 主人は手術後の抗癌剤治療を受けるために 入院していました。。
一絨毛膜双胎という双子の中でもハイリスクな妊娠だった娘は 近くの産院で 次々と診察を断られ 大阪でも2カ所しかない乳児ICUの整った医療センターで やっと 受け入れてもらうことが出来ました。
 この医療設備の整った都会で 受け入れを断られるなど 思いもよりませんでしたが それだけ ハイリスクな妊娠なのだと思うと 不安が 大きく 双子といえども手放しでは 喜ぶことができませんでした。
娘はとてもつわりがひどく 母胎管理のための入退院を繰り返し あの頃 私は 娘の病院と主人の病院を回るだけで精一杯の毎日でした。
冬が春になり 春が夏にかわろうとする頃 幾度も 危機を乗り越えて とうとう出産予定日が 近づきました。
本人は 自然分娩を期待していたのですが 促進剤を使用してもうまくいかずその翌日には帝王切開ということになり 待ちわびている主人に病院から電話をしました。
「陣痛促進剤で いい陣痛がこなかったので 大事をとって明日には帝王切開ということになりました」 
「そうか・・こんな状態では何もしてやられへんなぁ・・」そう言ったまま 黙り込む主人。 
 しばらく無言になったあと  受話器からは嗚咽が・・・。
自分自身のガンの告知を受けたときも 手術の時も泣き言も涙も見せなかった主人が 娘に何もしてやれないことが 本当にくやしかったんだと思います。

翌日 帝王切開の手術の間 決められた家族待合い室で 娘が帰ってくるのを待ちます。
長い長い信じられないほど長く感じる時間を過ごしたあと 突然に エレベーターのドアが開く気配に 次女が「ママっ」と私の手をひいて立ち上がり 廊下へ走り出ました。
看護士さんが 押すガラスの保育器の中に 赤ん坊が一人。
うしろの看護士さんが押す保育器にも一人。
ガラス越しに泣き声が聞こえてきます。
エレベーターホールから新生児室へ入るまでのほんの10メートルくらいの距離を移動する間だけ こうして傍に立ち写真を撮ることを許されています。
涙で滲んだ目で 保育器の中で 動く小さな姿を見つめながら必死でカメラのシャッターを押し続けました。
小走りに保育器を押す看護士さんと目があった瞬間「娘は 娘は どうなりましたか?」と叫びました。
「出血がひどいので処置中です。でも 命には別状ありません」「えっ・・・」 
それまで保育器によりそい小走りに走っていた私の足は突然止まり動けなくなりました。
次女が心配そうに私をのぞき込みます。
「大丈夫?」私には 返事をする余裕もありませんでした。
二つの保育器が新生児室の中に消えて行き私と次女は 廊下に立ちつくしていました。
その時 私に喜びはありませんでした。
娘の顔を見るまでは 何の感情もありませんでした。主人にもまだ電話もできませんでした。
やはり私は 母なのです。我が娘がここへ戻ってくるまでは 喜ぶことはできませんでした。
また 長い時間を過ごしたあと 真っ白な顔をした娘が ストレッチャーで運ばれてきました。
「おめでとう。。がんばったね かわいい女の子 二人 元気そうやったよ」娘の耳元で そう言うとしっかり つむったままの目から 涙が一筋こぼれました。
私と次女は娘の無事を見届けると 赤ちゃん達を収めたデジタルカメラを胸に抱いて 主人の病院に飛ぶように急ぎました。
待ちかねて病室の前で待っていた主人は 今まで私が 一度も見たことのないような笑顔で迎えてくれました。
「ほらほら おじいちゃん」そういいながら 次女がデジタルカメラの写真を見せると
「すごいねぇほんとにすごいねぇ  涙でみえへんわ」
幾度も幾度も涙を拭いながら食い入るようにカメラの画面をのぞき込んでいました。
それから 突然三人で 手をつないで輪になって「おめでとう!おめでとう」と病室の中で回り始めました。
今 思い返しても うれしくって涙がでます。
生きてるって生きてるって 幸せなことなんだなぁって。

「生きてるだけで丸儲け」
その時 突然頭の中にそんな言葉が浮かんできて 思わず一人で 笑い出し 止まらなくなりました。
「そうや 今 生きてる それだけで 生きてるだけで 丸儲けなんや」
私は 久しぶりに 心の底から 笑いました。
何も知らない主人とキャリーは とうとう私がおかしくなったのかと 心配したそうです。

この日のできごとを 私は きっと生涯忘れないと 思います。
娘の 腕に 二人の天使が 舞い降りた日です。

読売新聞「医療ルネサンス」母娘 一緒に向き合う

「乳ガンファミリーサポート☆キッズルーム」を 管理している私の次女 キャリーと 私のことが 4月10日付け読売新聞「医療ルネサンス」で 「母娘 一緒に向き合う」という記事に 掲載されました。
キャリーが キッズルームを始めて 一年と九ヶ月 子供達へ向けてのこのようなサイトは まだまだ一般的ではありませんが 毎日毎日掲示板のチェックをし 一生懸命自分の言葉で お返事を書いている キャリーの姿を見ていると 様々な思いが 胸をよぎります。
どこかで 彼女のことを 彼女がしようとしていることを 見守ってくださって そして評価してくださる方の存在を ありがたいと 思っています。記事は ヨミウリ・オンラインで ご覧いただけます。

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/renai/20040410sr11.htm   

読売新聞著作権担当者さまより 承認いただきましたので 記事へ直接リンクいたしました。

医療と介護→医療ルネサンス→4月10日 がんに挑む・読者の反響(下)「母娘 一緒に向き合う」

アロマセラピー(2)

9月21日

整体やマッサージと区別するために アロマでは トリートメントと呼びます。

トリートメントの注意事項

アロマトリートメントは エフラージュ(なでさする)が基本です。ソフトに手のひら全体を肌に密着させてソフトになでさすります。

リンパ節の上部 ガンのできている部位は避けてください。

放射線治療をうけた部分のトリートメントも避けます。

乳ガン子宮ガンの患者はエストロゲン様作用の精油は使用しないでください

トリートメントオイルの作り方
キャリアオイルと呼ばれるオイルに精油をブレンドして作ります。

キャリアオイルを選ぶ(一般的なもの)
スウィートアーモンドオイル
ホホバオイル
小麦胚芽オイル
月見草オイル
ローズヒップオイル
ヘーゼルナッツオイル

精油を選ぶ
精油の特徴を記載しましたが 様々なレシピがありますので ご購入の際 担当者によくご相談の上 お選びください。

ラベンダー(シソ科・水蒸気蒸留法/花と葉/フローラル系の香り)
作用・・抗うつ、鎮静、鎮痛、抗炎症、神経強壮、誘眠、美肌、殺菌
注意・・妊娠初期や低血圧の方は使用不可
*ラベンダーはリラックス効果にすぐれ体の炎症や心のイライラを鎮める効果があります。一般的に使いやすい精油です。

イランイラン(バンレイシ科・水蒸気蒸留法/花/甘く優雅な香り)
作用・・鎮静、血圧降下、催淫、殺菌、消毒、神経系強壮
注意・・妊娠初期は避ける
*アドレナリンの分泌を抑え神経を和らげます。ショックやパニックの時にも心を穏やかにする作用があります。

ローズウッド(クスノキ科・水蒸気蒸留法/木部/落ち着いた香り)
作用・・抗うつ、鎮痛 催淫、身体強壮、殺菌、消毒、美肌
注意・・乳幼児には使用不可
*免疫系機能の強化と共に ストレスを緩和し自律神経を調節します。

もっと詳しくお知りになりたい方は図書室より 「ガンを癒すアロマテラピー」などの書籍を ご覧ください。

上記のキャリアオイル30ccにお好みの精油を6滴ブレンドし1%のトリートメントオイルができあがります。
(1回分約10cc)

セルフトリートメントの方法

1)清潔な手に トリートメントオイルを500円玉ほど取り 両手で 温めるようにこすり合わせます。
2)手のひらが 温かくなったら 両手を鼻先に近づけ 大きく息を吸い込みゆっくりはき出します。
3)香りのエネルギーを 全身に届けることができるよう イメージし 肩の力を抜きます。
4)オイルで 手を滑らすように やさしく温かくゆっくりと トリートメントを行います。
できれば 呼吸にあわせ 手を伸ばしきったときに 息を吐き終えるようにするとよいでしょう。

足には反射区があり とても有効にトリートメントが行えます。
指先一本一本 足裏 足全体を丁寧に 力を入れずにトリートメントします。
手は トリートメントしやすい部位です。
指 手のひら全体をゆっくり トリートメントしましょう。
指先から上腕へかけて やさしくなで上げ また なで下ろしましょう。
首から肩へかけても たっぷりのオイルで すべるようにトリートメントを行います。
トリートメント後は ゆったりと静かに過ごし 水分を多めに摂りましょう。

簡単に アロマセラピーを ご紹介いたしましたが 植物の持つ 自然のエネルギーを 体に取り入れて みなさまの 免疫力 快復力が向上しますよう お試しくださいませ。

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アロマセラピー(1)
3月3日 

最近 よく「アロマセラピー」という言葉を聞くようになり アロマセラピーに使われる精油も手軽に手にはいるようになりました。
アロマセラピーとは 芳香療法と言われています。

プレゼントにいただいたバラの花束の香りに うっとりとしたり キッチンのレモンの香りで 気分がスッキリとしたり 休日に出かけた森の木の香に 清々しい気分になったり と 香りは私たちの心と体に 様々に 働きかけています。

アロマセラピーでは 植物から採った精油(エッセンスオイル)を使います。
1kgのバラの精油とるのに4tものバラが必要だと言われるように 精油には 植物のエネルギーが凝縮されています。

私の入会している日本アロマコーディネーター協会では アロマコーディネーターを
花や草から生まれる香りのエッセンスの知識をもとに 自然の香りに親しみ、愉しみながらより豊かなライフスタイルを提案し・実現できる人」と表現しています。
植物の香りを通して 日々の暮らしに 自然のエネルギーを 取り入れてみましょう。

ご使用前の注意事項
 1)体調がすぐれないときは 医師の診断を受ける。
 (
アロマテラピーは治療ではありません)
 2)7才未満の子供 妊娠中の方は 基本的に使用禁止
 3)原液を使用することや 内服は禁止 パッチテストをしましょう
 (パッチテスト 精油を10倍に薄め腕の内側にその液を1滴分塗り 一時間様子をみる)
 4)保存法使用期限を守る
 5)100パーセント天然のオイルを選ぶ
 6)精油の特性(光感化・アレルギーなど)に注意する
 7)使用量を守る

特に 乳ガン治療のホルモン療法をされている方へ
ホルモン作用や通経作用のある以下の精油は お避けください。

・カモミール・クラリセージ・サイプレス・シダーウッド・シナモン・ジャスミン・ジュニパー・スペアミント・セージ・ゼラニウム・タイム・バジル・フェンネル・ペパーミント・マージョラム・ミルラ・ラベンダー・ローズ・ローズマリー・ローレル

精油の選び方

香りを試してみて 自分が好きだと思える香りが 自分の必要としている香りだと 言われています。
香りの印象を大切にして選んでみましょう。

精油の使い方

入浴法

全身浴
はちみつ 天然塩 スキムミルクなどを 乳化剤として使用しそこに精油を入れてよく混ぜてから バスタブに入れる
少しぬるめのお湯で リラックスしましょう
ハンドバス・フットバス
洗面器やバケツに乳化剤や精油を入れて使用
ハンドバスは 手や腕を使う仕事の後や 肩こり 目の疲れ 緊張緩和に 最適。
 精油を1、2滴入れ 少し熱めのお湯に手首から下をつけます。
フットバスは バケツに精油を1、2滴入れ少し熱めのお湯に 足首から下を つけます。
差し湯をしながら一定の温度を保ちます。冷え性にもおすすめです。

吸入法

乾式吸入法
精油を ティッシュやコットン ハンカチなどに2、3滴染みこませて 香りを吸入します。
とても手軽な方法です。

湿式吸入法
ボウルや洗面器に 熱湯を入れ精油を1、2滴落とします。蒸気を逃がさないようバスタオルなどで 頭から覆い 蒸気を吸入します。
風邪の初期 鼻水鼻づまりに役立ちます。

湿布法

温湿布
精油を入れた熱めのお湯にタオルを浸し 湿布する方法
筋肉痛やこりのある時に。目の疲れには 温かいタオルを目の上に置いて温湿布。
湯温に気をつけて。

冷湿布
精油を入れた水にタオルを浸し 湿布する方法
ねんざ 打撲などに。

次回は アロママッサージとオイルの特性についてまとめてみます。

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希望を見失いそうな時・・

12月9日 

どんな時でも 希望だけは失わずにいたいと 望むけれど 厳しい現実を前に 希望を見失いそうな時が あります。あなたも そうでしょうか?

治療に疲れたあなたに 生きる事に疲れたあなたに もう一度 前を向いてほしくて この詩を 贈ります。
☆―――――――――
私たちは列車で旅する旅人のようなもの
それぞれが それぞれの終着駅に向かって進む列車に乗っている。

でも 自分の列車の終着駅がどこにあるのかどれくらい先なのかは 誰も知らない。
美しい風景を眺め その時々の空気を感じ 時にはトンネルもくぐり おいしい食事をいただきながら 列車は進む。

乗り合わせた人と語らい 心ときめかせ 涙し 笑いあう。

ある日 私は はじめて私の列車のアナウンスを 聞いた。その先は 終着駅。
私の旅にも 終着駅がある事を思いだした。
そうなんだ 時折すれ違うあの汽車もあの列車もみんなそれぞれの終着駅に向かって走っているんだと。
私だけが聞いたアナウンス。
 この列車を降りる時があると思えば いまこの瞳に映る景色のなんと美しく清々しい事 言葉交わしあう人々のなんと温かい事。

いつまでも永遠にこの列車に乗ってはいたいけど 私だけ永遠にとは 許されないようだ。
終着駅を知った事で 私は いままで散らかり放題だった荷物を少しかたづけ始めた。
まだ次のアナウンスはないので 終着駅がどれくらい先なのかはわからないが 残りの旅は 心から楽しもうと思う
☆―――――――――
あなたの旅が 穏やかで 実り多き旅でありますように。

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きっかけは 世界陸上

10月12日 

HPをはじめて 3年。この夏 念願だった「GT4」という オンライン患者グループも立ち上げ 次女の発案で 乳ガンになった母親を持つ子供たちのサイト「乳ガンファミリーサポート☆キッズルーム」も開設することが できました。
治療の続く中 我ながら 今日までよく がんばったと思います。

今でも 告知をうけた頃のことを思い出すと 背筋が凍るような思いがします。
そんな私が 告知のショックから立ちなおることができたのは ひとりの女性アスリートがトラックを懸命に駆け抜ける姿を見る事ができたから。
 私が 手術を受けた1999年夏 日本で 世界陸上が 行われており  7月下旬、退院直後の私は 25回の放射線治療に 通っていました。
退院しても 術痕の痛みは辛く 家事も思うようにはできず いらだち疲れ果て 生きる希望も夢も失いかけたとき、テレビから聞こえてきた「乳がん」という言葉。
 急いでテレビに目を向けると、そこには 世界陸上の100メートルハードルに出場している一人の女性の姿がありました。
 彼女はスウェーデンのエンクイスト選手 1996年アトランタ五輪、1997年の世界陸上同種目で金メダルをとっっている実力のある選手。
 しかし「1999年3月右胸にがんが見つかり手術。転移が認められ化学療法を続けながら夏前にトラックに戻ってきた」と アナウンサーは淡々と告げていました。
 私は食い入るようにテレビを見つめながら 心からの声援をおくり そして彼女は決勝へ進み3位になりました。
表彰台に上る彼女の姿は 涙で見えなくなりました。
「なんという精神力 なんという肉体の持ち主!」
しかし すぐに それだけではない事に 気がつきました。
3月に手術を受け 7月の世界陸上に代表選手として選ばれるために 彼女はどれほどの努力を重ねたのでしょうか。
彼女は きっと この世界陸上のトラックに立つために 私など考えも想像もつかないほど 努力を重ねたはず。
 何もできず 夢も希望もないとうつむいていた自分が とても恥ずかしく思えました。
私は このとき  彼女から 勇気と希望をいただきました。

私はその後 放射線治療に通う待ち時間を利用して HP作りを始め 乳がん体験者としての率直な思いや、体験を語り始めました。彼女からいただいた 勇気や希望を 少しでも多くの人と分かち合いたいと。

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心に寄り添って・・

8月10日 

HPを はじめて3年。多くの方から 本当にたくさんのメールを いただきました。
一番多かったのは 乳がんを告知されたばかりの方 そして不安を抱えていらっしゃる方 からのメールでした。

思いがけずに 乳がんの診断をうけ 不安と恐怖で固まった患者の耳には 医師の説明を 受けても 理解できないことばかりです。

告知から入院 手術までの間 乳がんと知らされた患者は どんな思いで過ごせばよいのでしょう。
乳がんは告知することが 一般的ですが 医師が 患者に ガンである事を伝えるだけが 告知なのでしょうか?
私は 告知をうけたとき いいようのない孤独感に襲われました。きっと誰にも 家族や親しい友人でさえ 私のこの気持ちは わからないだろうな と思うと真っ暗闇にたった一人 取り残されたような思いでいました。
主人はとても頼りがいのある人ですが 温かく言葉に出して守ってくれる人では ありませんでした。昔気質な男らしい人で 耐えしのぶ事が美徳という考えの人でしたので 自分の心の動揺を主人にさえ うまく話す事ができずに いました。
私は 自分の乳がんと闘う前に 事実と対峙できず崩れてしまいそうな自分自身と 必死に闘っていました。
そして そのことさえ どこか 自分の事ではないような気も していました。現実を見つめる事が できなかったのでしょうね。
人はあまりに大きな哀しみや苦しみに出会うと 自分を守るために 無意識に心が感じないように 働きます。
とてもひどく 心が傷ついてしまいそうな時 そのことを 感じないようにして そうしてゆっくりと 立ち向かうための時間を かせぐのです。
時間がたってそのことと向き合えるようになったら 自分自身のこととして しっかりと考えることができるようになります。私は自分に言い聞かせました。

体が病にあるとき 心もまた 傷つくのだと。おそれることも こわがることも 自信をなくすことも ないんだ 私は 今までも そしてこれからも かわらずに 私自身なのだからと。

乳ガンと 知ったとき 母として人間として培ってきた自信や 懸命に築いてきた人生そのものまでなくしてしまう そんな気がしました。
しかし それでも 「生きたい」 この出来事を越えて「生きていきたい」と 願う自分を 今はとてもいとおしく 思えるようになりました。四十数年生きてきて あのときほど自分自身が 大切だと思ったことは ありません。

私が こうして いただいたメールにお返事を書き続けているのは あのとき あの苦しかった自分自身とメールをくださる方とが 重なって 「あのときの自分を救いたい・・」 ほんとうは そんな思いが あるのかも知れません。
マラソンの判走者のようにあなたのそばに あなたの心に寄り添いたいと 願いながら 今日もPCに むかっています。

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健康塾乳がん講座

6月10日 

6月9日 大阪で 行われた 乳がん講座に 参加しました。
パネルディスカッション 毎日・健康塾乳がん講座 
〜患者として知っておくべきこと〜 「乳がんー最新の再発予防・治療法」

2時間以上あった講座なので 詳細にご報告するのは むつかしいのですが 私の興味があった事柄について 少し書いてみます。

●自分自身の病気について知ること

どのようなことを 知ればよいのか
・しこり(腫瘍)の大きさ
・リンパ節転移の有無・個数
・ホルモンレセプターの有無
・組織型
・核異型度
・HER2
以上の結果は 術後補助療法の選択の為に必要

●術後補助療法の ガイドライン

スイスのザンクト・ガレンにおいて開催される乳がんの国際会議(3年に一度、乳がんに関係する医師らが、術後補助療法に関する標準治療を討議し改定するもの。今後は2年に一度の予定) において 推奨される治療

・リンパ節転移の有無   
・ホルモンレセプター状況   
・腫瘍径(これは触診上あるいは画像診断上の大きさではなく、顕微鏡検査で      確認できる浸潤癌成分の大きさを意味しています)   
・病理学的悪性度(顕微鏡検査で3段階に分類されます)   
・年齢 閉経状況   
以上の因子によりエビデンスに基づく標準治療を行う


再発予防(術後の補助療法としての)の為の 化学療法(抗がん剤治療)と 内分泌療法(ホルモン療法)
●内分泌療法

ホルモンレセプターが 陽性の場合 再発抑制効果が期待され 抗がん剤や内分泌療法と併用し作用の増強を期待する場合もあり

★抗エストロゲン剤(レセプターとエストロゲンの結合自体を阻害)  
タモキシフェン・トレミフェン(ノルバデックス)  
毎日経口
★LH-RHアゴニスト製剤(エストロゲンの産生を抑制)
 (ゾラデックス・リューブリン)  
4週に一回皮下注射
★アロマターゼ阻害剤(閉経後脂肪組織におけるエストロゲンの生合成を抑制)
 (アフェマ・アリミデックス)
 毎日経口
★プロゲステロン製剤


●化学療法 多剤併用療法の代表的なもの(薬剤名のみ記載)
★CMF療法  ・シクロフォスファミド ・メソトレキサート・5-フルオロウラシル

★CAF療法  ・シクロフォスファミド ・アドリアマイシン・5-フルオロウラシル

★CEF療法  ・シクロフォスファミド ・エピルビシン ・5-フルオロウラシル

★CA療法  ・アドリアマイシン・シクロフォスファミド

★CE療法  ・エピルビシン ・シクロフォスファミド

★タキサン療法(単剤で使用)Aとの併用あり ・ドタキセル・パクリタキセル

●賢い患者になるために  医療者と よいコミュニケーションを とろう
  ・質問をメモにする
  ・症状を正しく簡潔に伝える
  ・看護士も活用 等々 以上

簡単にまとめてみましたが会場で 配布された 「適切な治療をうけるために」(監修 癌研究会付属病院乳腺外科部長 霞 富士雄)も参考にさせていただきました。 私にとっては はじめての 参加でしたが 会場は満席で 皆様の意識の高さが伺われました。また 皆様にお目にかかれて 私もパワーをいただきました。  

(注)資料を見ながらできるだけ正確に記載したつもりですが 私は医療者では ありませんので もし 間違いなどを 見つけられた方は ぜひ ご指摘くださいませ

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悲しみの共感

4月25日 

あなたは こらえきれない悲しみを 持っているだろうか?
私には そのことにふれられるだけで 心の中が涙でいっぱいになってしまうような 悲しみがある。
体の傷と同じように少しずつ癒えてはいくが けっして消えてしまうことはない。
なにげない日常の中でも
まるで泣きたくもない幸せな時間でも
そのことにふれられると 私は 平静を保つのが 精一杯で 一瞬にして凍り付いてしまう。

生きることがすべてを 受け入れることなら 喜びを受け入れたように 悲しみとも つき合わなければ ならないだろうが・・

3年前 乳がんを告知された頃 大きな衝撃の次に待っていたのは 言い知れぬ悲しみだった。
なぜ 私が・・と とまどい 悲しかった。
自分以外の人 すべてが 幸せそうに見えて つらく 悲しかった。
自分の人生の時間が あと少ししか 残されていないのでは・・と不安で 悲しかった。
女としてのすべてを 無くしてしまいそうで 悲しかった。

何を見ても 何をしても 悲しみから 抜け出せない。
家族や友人は 慰め 励ましてくれたが たぶん 誰も 私の悲しみの真実を 理解できなかったと 思う。
家族や 友人は私の悲しむ姿を見たくないのだ 見ている彼らもまた つらいから・・

主人も子供達も 心の底から励ましてくれた。 そのことは とてもうれしく ありがたかったけれど 私の悲しみは そのことで 薄れたりは しなかった。
 
私は 彼らの励ましに応えるため 言いようのない悲しみを 心の奥深くに できるだけ奥底にしまい込もうと努力した。
充分に大人だった私は 悲しみに耐えた。
そして 私の心の底には 悲しみが重く残った。

今 あの頃の自分を 振り返るとき 私が望んでいたのは 励ましではなく 悲しみを 吐き出すことだったと 思う。
私の感じている悲しみを 認めて欲しかった。
悲しむことを 恥ずかしいことやみっともないことのように 否定されるのは よけいにつらい。
「私は これほどに 悲しい」と叫びたかった。
そして「そうだね」と 認めて欲しかった。

悲しんだり涙したりすることは けっして恥ずべき事ではない。
悲しみに襲われたときには いつもよりずっと自分を大切にして 自分の悲しみを認めてくれる人を探そう。
悲しいと泣きながら 自分を抱きしめよう。
そうすることで 悲しみがゆっくりと 薄れていく。
そして きっといつか 悲しみから解放される時がくる。

私達の悲しみを 共感しよう。
私は いつも ここにいます。

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春の陽ざしに

3月11日 

春の陽ざしに誘われて 窓を開けると 穏やかな風が 春の香りを運んできます。
やさしい青空が広がって ふんわりと 遠くの山が映ります。

こんな 穏やかな日は いろんな事を ほっぽりだして 猫のように 窓辺に座り 温かな陽ざしを たっぷり浴びましょう。

なげだした 足の先に 陽が当たり 白く見えます。
陽ざしの中に 手をかざし まぶしい光の中で 少し張りを失った自分の手を しげしげと眺めていると、突然 どこからか 「生きている喜び 生かされている喜び」が ふつふつと 湧いてきて 私を包みました。

庭の街道桜が いっぱいのつぼみをつけています。
あなたにも 春の陽ざしが 届きますように。

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世界がもし100人の村人だったら

1月29日

インターネットの世界にも 不幸の手紙のような チェーンメールと呼ばれるものがあります。このお話も チェーンメールのように 次々と人から人へと 伝えられています。
ただ少し違うのは このメールに込められたメッセージに 感動した人達が 同じ感動を 贈りたいとまた次の人に メールを送っていることでしょうか。
 マガジンハウス社から「世界がもし100人の村だったら」(著者 池田 香代子/再話 C.ダグラス・ラミス/対訳)という本も 出版されましたが この本では より現実の世界に近づけるために 数字の編集などがされています。
今回は 私のつぶやきでは ありませんが 私が受け取った原文のまま ”世界がもし100人の村人だったら” をご紹介します。
 

Donella H.Meadows 

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性です
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり 1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今、生き残ることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの1人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。


お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞ていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

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かあさんへ

12月8日

12月に入り あれこれ忙しい日が続いています。
少し辛いことがあって 秋からひどく落ち込んで 何も できないでいたので 今頃になって クリスマスリースを作ったり 飾り付けをしたり しています。

私が子供の頃も 家には毎年必ず 本物の木のクリスマスツリーが ありましたね。
てっぺんにお星様を飾るのは 父さんの仕事で 母さんと私たちで 飾り付けをしましたね。最後に 雪に 見立てたわたを ぽんぽんと置くと できあがり。
ガラスでできた大振りな電球が 赤や青にキラキラと光るのを見るのが 大好きでした。

先月長女が 18才になりました。子育てもラストスパート 一安心なのか 新たな頭痛の種なのか わかりませんが・・
次女は12才。彼女の方が 母さんに似ています。二人ともとても良い娘です。一度でいいから 見てもらいたかったと心から思います。

こうして母さんに手紙を書くのも ずいぶん久しぶりですね。
あれは 私が高校生の冬 兄弟だけで出かけた 大冒険の北海道旅行。小樽から出した手紙が最後でしょうか?
妹とけんかして「もう 面倒みきれない」と 手紙を送った私に母さんは とても母さんらしいまるまるとした字で「あなたは姉さんなのだから どうか兄弟仲良くできるように気を配ってください」と 速達で返事をくれました。
母さんからもらった手紙 大切にしていたのに この間 家を改築した折りに 無くしてしまったようで 見あたりません。惜しいことをしました。

もう ご存じかも知れませんが 2年前 乳ガンと知り 手術や 治療を受けました。
あの頃 幾度も祈りました。神様にそして あなたに。「母さん私を生かせてください。母さん私に力をください」と。
いくつになっても 子供は自分の都合のいいときだけ 親に頼りたくなるようです。

でも 母さんに笑われないように 一生懸命がんばっています 一生懸命生きています。
どうか 誉めてください。

時々 無性に 母さんに逢いたくなります。
こうして 書いているはしから 涙がにじんで 困っています。
ありがとうも ごめんなさいも 言えないままに なってしまいました。
そして 私も46才 あのときの母さんと同じ年です。

最近 鏡に向かうとき 髪の生え際の 白髪が 母さんそっくりなことに 気づきました。
母さんもこんな風に 髪の分け目に 白髪が 固まっているのを 気にしていましたよね やっぱり私も 同じです。

とても辛い時 苦しい時 哀しい時 ここに母さんがいてくれたら ふっくらとした手で だまって背中を撫でてもらえたら どれほど楽になれたでしょう。
もうあれから 19年もすぎているのに 今でも街角で 後ろ姿が母さんに似ている人に出会うと 目頭が熱くなります。
こんな風に 甘ったれた泣き言を並べていると 叱られそうですね。
子供はいつも 自分勝手で 我が儘なものです。思わず我が身を 娘達と重ねてしまいました。 もう少し 母さんの子供で いたかったのに・・・。

でも いつか必ず 私も そちらに行きます。
その時には 私が迷子にならないように そこの入り口まで 迎えにきてくださいね。入り口の 門のところで待っています。きっとですよ。
母さんへ最後のお願いです。

追伸
私は 娘達の孫の世話もするつもりだし まだまだこの世にし残したことが たくさんあるので 急いでここまで お迎えに来てくれなくても 結構ですよ。私が行くまで待っていてください。
いつか 母さんに逢える時を 本当に心から楽しみにしています。

母さんの娘より

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奈落の底で見えたもの

11月7日

毎日の生活の中でのささいな行き違いや 不足の思い 小さな不安 家族に対する気遣い 自分自身に対する期待 自分自身に 負けない逃げないと いっそう張りつめる心 心の奥底にしまいこんだつもりの恐怖・・いろいろなことが ない交ぜになって そして・・・ 
 ある日突然 何気なく投げかけられた言葉に 傷ついて 深い奈落の底に転げ落ちた。
最初は こんな事ぐらいで 落ち込むなんて 大人げないと 思えていた。だからすぐに立ち直れると。とても 気分がふさいで 苦しいけれど 明日には 元気になれると。

でも なだめても すかしても 私の心は 力を取り戻せない。周りの世界が 色を失い まるで 記憶の中にある 白黒の古いテレビのように 見えた。
朝 起きて 顔を洗うことさえ うとましい。洗濯も掃除も まるで 床を這うような気分で ともかく済ませ キッチンの縁に体をもたせて 食事を作る。味だって まるで わからない。なんだか 急に体が 老化してしまったようで 重くて 運べない。自分の顔が 能面になってしまったようで 凍り付いて 笑えない。

おかしいことは わかっているのに 自分の力では どうしようもなくて 涙さえ 流れるにまかせた。 娘が私の顔をのぞき込み 泣き顔になる。つられて私も 泣き顔になる。
いけない!こんなことじゃいけない!! 娘を 悲しませちゃいけない。あせれば焦るほど がんばれば がんばるほど ますます 深く落ち込んでいく。

今までだって 辛いことや 悲しいことは あったはず そしてそれと同じくらいうれしいことも。
どれもこれも 乗り越えてきたじゃない!いったい あなたは どうしたっていうの?頭の中に声が響く 自分でもわからなくなった。自分で 自分がコントロールできなくて うじうじと 時間を過ごしている。
そんな自分が 信じられなかった。誰かに 話せば打ち明ければ いいのかも知れないけれど 落ち込んだ自分の心を どのように誰に話せばいいのか わからない。やっとの思いで 主人に「私 落ち込んでしまって そこから抜けられなくて 苦しい・・」と 涙 涙で 打ち明けても「自分の心の 問題だから・・」と 言われ ますます行き場をなくしてしまう。

HPを はじめて2年以上 毎日朝晩欠かさずメールチェックを していたのに パソコンの電源さえ 入れることができなくなった。メールをくださる方にあまりにも無責任と思い 一時お休みさせていただく旨のお知らせを書き込んだ。

落ち込んで2週間以上になった。まるで思春期に戻ったように ちょっとしたことが 悲しかったりうれしかったり 自分で自分を持て余している。でも 涙の量は減ってきている。

思い切って HPの掲示板へ自分で書き込みをし お休みをした訳を正直に 落ち込んでいたと 書いた。適当ないいわけを考えるのは いやだったし ここでは 誰よりも正直でいたかったから。

情けない私の 書き込みに やさしくあたたかな返信をいただいた。お帰りになってよかったと メールをくださった方もいらっしゃる。ありがたかった。一度もお目にかかることさえない方たちなのに。
心の底に 穏やかな温かな何かが ゆっくりと 広がっていく。この思いを支えに きっとここから抜けだそう。本当に ありがとう。

もう少し時間は かかるかもしれないけれど きっとだいじょうぶ。
ありがとう。

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抗ガン剤「感受性試験」

9月4日

最近 新聞紙上等で 抗ガン剤の感受性試験についての記事を見かけることが ある。
日本では現在 様々な抗ガン剤が使用されているが 抗ガン剤ごとに効くガン細胞が違うはずである。
しかし今までは 各患者ごとに 効き目があるなしに かかわらずたいていは一様に使われてきた。
実際のところ 患者は苦しい副作用に 必死に耐えてみても 本当に抗ガン剤の効果が あるかどうかは わからないし個人差が大きい。
患者の意見として言わせていただけるならば 効くかも知れないし効かないかも知れない薬を「とりあえず使ってみましょう」式に 出されるのはいやだ。
そこで 個々の患者にあった治療法を選ぶ「オーダーメード医療」の一つとして研究されているのが「抗ガン剤感受性試験」である。
方法としては 手術時に切除したガン細胞を 数種類の抗ガン剤を別々に 入れた容器に注入 一定時間後 抑制率(ガン細胞を殺した割合)が50パーセント以上の抗ガン剤を「感受性有り」と判断する。
利点としては
*手術時に切除したガン細胞を使用するので 患者にとっては検査の為の負担がないこと
*自分にあった薬を使えるという安心感と治療効果への期待
*むだな薬による副作用をなくす等が 考えられる

また問題点としては
*抗ガン剤「感受性試験」そのものの 正確性に不安があること
*研究段階なので 厚生労働省の高度先進医療として 認められた施設でのみ実施(感受性試験を行っている病院が非常に少ない)
*米国では今年より公的保険制度で認められたが日本では保険適用外
等が あげられる

感受性試験は現在 胃 大腸 肺 乳ガンなどで 行われており 慶応大 和歌山県立医大 大阪医大 大阪市大 名古屋大などの病院で研究されている。

乳ガンでは 一般的に切除した乳ガン細胞にホルモンと反応する受容体(エストロゲン受容体ER)が あるかどうかを調べて内分泌療法(ホルモン療法)を開始するが これも「感受性試験」一つである。

大規模な臨床試験やより正確な試験方法の開発により 多くのガン患者が 負担の少ないそしてより効果のある抗ガン剤治療を 受けることができるよう 心から願うとともに 患者として 治験や研究への理解も深め 医療者ともに 完治への道を歩きたいと思う。

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手術室の記憶

7月7日 

手術から2年が過ぎ、あの頃の記憶が少しずつぼやけていく中で 今も鮮明に蘇るシーンがある。
それは 手術室での できごと。
乳ガンの手術を受けて 4日目 手術箇所からの出血が止まらずに 予定外の再手術を受けることになった。
もしかすると 再手術になるかも知れないと 主治医から聞いてはいたが 現実のものになるとは 思ってもみなかった。
乳ガンの告知を受け 入院 手術まで精一杯張りつめた状態でいた私は 手術後3日目に 痛みや思うように動かせない腕の為に いらだち すっかり鬱状態になっていた。

そんな中 当日の10時頃決定された手術の為 私はすでに朝食を終えていた。
全身麻酔下では 人工呼吸器を使うが 通常は前日から安定剤や睡眠剤等の投薬があり 当日には 麻酔の前処置として注射もあり 手術室へ入る頃には ほとんど意識はない。
私も 最初の手術では 病室を出て エレベーターを待っているところまでしか 記憶がなくて 子供達に声をかけて手を振ったらしいが まるで覚えていなくて 目覚めたら 回復室だった。

しかし 今回は食事をとっているために 麻酔下では おう吐による窒息等の危険があり 手術前の処置を済ませてから 全身麻酔がかけられることになった。
ストレッチャーに乗せられて 手術室へ移動する間にも 私の心臓は耳に痛いほど大きな音を立てていた。手術室の金属の扉に 飲み込まれていくようで たまらなく不安だった。
手術室に いたスタッフは 無言のままテキパキと 動き回っている。カチャカチャと 器具の音が 異様に大きく響く。
私は 手術台に自分で移動し 「もう 逃げ道はないのだから 死んだ気になって 我慢しよう。マミちゃんレイナちゃん どうか ママを助けてください」と祈った。

まず鼻に ゼリー状の麻酔をかけて くだを通し 胃の内容物を吸い出す・・苦しい・・
人工呼吸器を装着するために 口に金属の筒状になったものをはめて その中に呼吸器のくだを通す・・苦しい たまらなく苦しい。 涙があふれ流れていく。 くだが通らずに 全身で吐こうとする。 いくら私が がんばってみても 体の反応を 抑えることができずに くだをいれられるたびに 私は全身の力を込めて 硬直する。
麻酔科の医師だろうか?大きな声がする 「もっとしっかり 肩を押さえつけて!!このままやったら 処置できないよ!」 わかっている わかっていても苦しくて苦しくてどうしようもできない私は 申し訳なさに泣きながら 「ごめんなさい ごめんなさい」 と繰り返していた。

突然 私は言いしれぬ孤独感に襲われた。本当に手術台についた背中が 凍っていくようだった。
手術室には 何人もの人がいた。しかし 私は その時たった一人だった。生まれてから今日まで これほどの孤独感を味わったことはない。私は 自分自身が意思を持たない ガンにおかされた一つの肉の塊になったような気がした。その時私は 人では なかった・・。
ふと このまま死んだ方が 楽かも知れないと思った。

私の孤独感が絶望へと変わり始めた頃 かろうじて自由になる私の手の先を 突然 誰かが握りしめて 私に話しかけた。「○○さん 苦しいよね すごく苦しいよね でもこの処置が 済まないことには全身麻酔が かけられないの!だから もう少し もう少し がんばろうね」まるで 叫ぶように私に向けられた声で 私は なんとか自分を取り戻した。冷たい空気の流れる手術室で 指の先まで凍りそうな私に その人の手は 温かかった。 私に その後の記憶はない。苦しさのあまり 記憶を消してしまったのか 処置がうまくいって 全身麻酔になったのかは わからない

もう2年も 経っているのに その時のことを思い出すと 私は 涙を止められない。
私の苦しい体験は 誰かが声をかけてくれたからといって 和らぐものでも逃げられるものでもなかった。しかし 手術台の上で苦しみもがく私に 「苦しいよね」と 共感してくれた心が そこに存在したことを知った私は ただそのことだけで 救われた。

手術後 幾日か経って 手術室担当の看護婦さんが 病室まで手術後の様子を 訪ねてこられた。
その方が 話し始められたとき 私は その声を聞いて 涙が止まらなかった。あのときその場にいらした方・・・
私は 「ずいぶんご迷惑をおかけしました」と 丁重にお礼を申し上げた。その方も また「苦しかったでしょう」と 泣いてくださった。私は 苦しいかったこと つらかったことを 洗い流すかのように 泣いた。

いつか振り返りたいと思いながら 思い出すのが怖くて 2年経って やっと言葉にできた辛い思い出 ここに置いていきます。

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子宮ガン誘発のリスク

5月15日

5月13日付け読売新聞にて 気になる記事を見つけたので紹介します。(以下読売新聞より抜粋)

乳ガン治療薬「タモキシフェン」で子宮ガンの起こる危険が高まるとして日本産科婦人科学会は「服用患者は、子宮ガン検診を定期的に受診すべきだ」との見解をまとめ、札幌市で12日から始まった同学会で報告した。ガン治療薬の副作用について同学会が喚起するのは初めて。
乳ガンは女性ホルモンの影響も一因とされ、タモキシフェンは外科手術後、女性ホルモンの働き過ぎを 抑えるため使われている。しかし、この薬を 長期服用すると「子宮体ガン」の発生頻度が高まるとの 報告が1990年代前半から 欧米で出始め、5年服用した場合の発生率は、飲んでいない人の4.2倍になるとのデータもある。
同学会は見解で タモキシフェン服用を 子宮体ガンの 危険因子とし、異常出血等の症状がない人でも最低年一回は、子宮ガン検診をうけるよう勧告。婦人科と外科が連携し、この薬剤の効果と副作用を 患者に十分説明する必要があると 強調している。

治療後の乳ガン患者が 子宮ガン検診を受ける 割合は 治療体制が整っている米国でも「3年に一度」が 50〜60パーセント程度にとどまっており米国臨床腫瘍学会は97年に 年一回の子宮ガン検診をうけるよう勧告している。


私もタモキシフェン 5年服用予定です。(残り3年)服用を始める際に 主治医より子宮ガン誘発のリスクについては説明を受けましたが 今回発表された
 5年服用した場合の発生率は、飲んでいない人の4.2倍になる という数字には ぞっとしました。
どんな薬にも副作用が あるとはいえ 乳ガンの為に薬をのんで 子宮ガンになるなんて・・・やりきれません。せめて子宮ガン検診を しっかり受けるようにいたしましょう。

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新薬承認について

3月8日

2月27日 がん患者らでつくる「ガンと共に生きる会」が 日本では 未承認の抗ガン剤の 一括承認を求める緊急措置請求書を厚生労働相に 送った。

欧米ではガンの標準治療薬なのに国内では未承認だったり 保険の適用が 限られていたりして 事実上使用できない約百種類の薬の承認を 求めている。
1990年代に入り多くの新しい有効な抗ガン剤が登場している。しかし国内の医療機関の「治験(薬の承認に必要なデーターを集める臨床試験)の質」の低さや人材不足により 欧米では ガンの標準薬とされているような薬さえ日本では使用することができない。
つい最近まで ガンの告知をしてこなかった日本には 腫瘍専門医や抗ガン剤の専門医など 無きに等しい現状のようだ。告知をしない日本には ガン患者は存在しないのだから・・
しかし今 多くの人が ガンの告知を望み始め 自己の納得のいく治療を受けたいと願っても 患者が治療法を決定することは ほとんどない。今も多くの場合 医師の顔色を見ながら 勧められる治療法に 希望をつなぐ。米国では すでに4年前  ガンの新しい治療法の承認を半年にし 患者の自己決定権法を 立法した。インフォームド・コンセントとは ただ医師から説明を受けるだけではない。セカンドオピニオンとは 病院をたらい回しにされることではない。

一時世間を騒がせた バイアグラが驚くべき早さで承認されたことを 思いだし やりきれない気持ちでいるのは 私だけだろうか?
救急車は5分で到着し 街には多くの大病院があり 最新の医療設備で 迎えてくれる。そんなこの日本に暮らしながら ガンで「もう治療法がありません」と宣告される。まだ 使える薬はあるのに・・・

私にも 何か できることは あるのだろうか?模索の日々です。
あなたは どんなふうに 思いますか?

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緊急警告 コンピューターウィルス
2月18日

MTX(マトリックス)は、昨年9月以降に登場したワーム型不正プログラムです。再三のウイルス警戒アナウンスが行われているにもかかわらず、引き続き多くの感染が報告され続け衰える気配がありません。このウイルスは、大量にメールを送信するわけではないので、感染に気づきにくく、知らない間に感染を広げてしまう場合があります。不審な添付ファイルは決して実行しないでください

実は私も 感染しました。1月中旬頃 突然システムエラーが 頻繁に起きるようになりましたが 思い当たる理由もなく 特別 深刻な状態でもなかったので 特に対策も考えないまま ある企業宛に メールを送信したところ サーバーの自動返信システムにより
The mail message (file:HANSON.SCR) you sent to (宛先)contains virus.(TROJ_MTX.A)
という メールが 返ってきました。

私が送信したメールに コンピュターウィルス(TROJ_MTX.A)のファイル(file:HANSON.SCR)が あるというのです。私のPCにはウイルス対策ソフトが プリインストールされているので 特に気にせず使っていたのですが 実は バージョンを 新しくしないまま使っていたので 実際は新しいウィルスに 対応できていなかったのです。

試しに自分宛に メールを送信してみると 1通しか送信していないのに 届いたメールは2通で1通は確かに自分が送信したメールでしたが もう1通は件名がなく 添付した覚えのないファイルが添付されていました。それが (TROJ_MTX.A)でした。新しいワクチンソフトを導入し駆除修復にあたり 発見が早かったので システムに 大きな被害はありませんでしたが 自分自身も 知らない間に 感染を広げてしまう 危険性を 改めて感じました。ちょうど他にメールの送受信が無い時期だったのですが もし ご迷惑を おかけした方が ありましたら この場をお借りして お詫びいたします。どうか 皆様も お気をつけください。病気をテーマにしたHPで ウィルス感染なんて ジョークにも なりません。以下に症状と 対策を 記しておきましたので ぜひ参考になさって大切なPCを 守りましょう。

●感染方法
メールの添付ファイルとして送られてきます。添付ファイル名は、数種類のバリエーションがあります。送信者から送信されたメールは2通あり、1通は送信者の意志で出された通常のメール、もう1通は添付ファイルのみのメールでタイトルと本文がありません。こちらにウイルスが存在します。この添付ファイルを実行(ダブルクリック又はクリック)すると感染します。

●ウイルス活動
ウイルス部分とトロイの木馬部分にモジュールが分かれており非常に複雑な活動しますが、大きく分けて、
1)感染活動――カレントフォルダとWindowsフォルダの.EXEファイルに感染する
2)ワーム活動――WSOCK32.DLLを置き換えウイルスを添付したメールを送信する
3)ハッキングツール活動――ハッキングツールの自動起動設定を行う
の3種類の活動を行います。

●感染防止対策
このウイルスは、メールを受け取っただけでは感染しません。感染するためには、添付ファイルをダブルクリックするなど、ファイルを実行することが必要となります。たとえ知人からであっても、不審な添付ファイル付きのメールは不用意に開かないでください。

●ファイルを開いてしまったら
Windows 9xユーザの場合、ファイルを開くと感染します。ただちにネットワークから切断し、手動削除手順に従って削除してください。すでにファイルを送信してしまったと思われる場合は、メール以外の方法ですみやかに送信先に連絡してください。

Trendmicro社PE_MTX.A対策Webが ありますので 詳細はそちらをご覧ください。

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乳がん患者の憂鬱
11月6日

ふと 思うことがある。「私、元気だったのに・・」と
手術から1年と4ヶ月が経ち 最近やっと 傷跡の違和感が あまり気にならなくなった。
術後の痛みは 確かに少しずつ薄れてゆくし 違和感も腕の使いづらさも少なくなっていく。でも 未だについ 考えてしまう。「手術を受けるまで私は 何ともなかったのに」と。
私は検診で ガンを発見したので それまでの病気による辛さや痛み 不自由さが まったくない。
通常は、胃が痛い 怪我をした 熱がある等々 辛くていやな症状で 病院を 訪れ 治療を受けて 症状が改善され 完治となるのだろうが 私の場合には自覚症状がまったくなかったので ガンの告知を受けて 頭の中で理解できても 肉体に病んでいる箇所のあることが 自覚できなかった。だって痛くもかゆくもないのだから・・。
ガン細胞が 発見された以上治療を受けることしか 考えなかったが 自分がガンであるという自覚は まるでなかった。

だから 自分自身を 納得させるまでに時間がかかった。「あなたは病気や肉体的な疾患を 少しでも早期に知るために検診を受けて その結果 幸いなことに症状もない早期にガンを発見できた。あなたはとても運がよかったのだ」そんなふうに考えようとしていた。私の周りの人たちもそんなふうに慰めてくれた。
でも心のどこかにある なんだか理不尽な思いは消えなかった。
それは 自分の人生に降って湧いた 突然の災難に対してなのか 自分が予想もしていなかった乳がんという病気にかかったことに対してなのか 痛くもかゆくもないのに乳房を切ることに対してなのか・・・

私は あきらめの悪い人間で なかなか素直に 自分の置かれている状況を受け入れることができなかった。だから 退院後 肉体的にも精神的にも今までと違う 自分に かなり落ち込んだ。

今までは 気に留めることもなかった簡単な家事が 辛い。手術跡が痛くて横になり ふとまどろんで見る夢さえ 手術台にのせられている悪夢だった。退院後も治療は続く そしてホルモン療法や抗ガン剤治療のせいで 体調もよくない。家族にも 長い間 痛いとか辛いとか愚痴ばかりこぼした。そんな時つい 思ってしまう「私、元気だったのに・・」

そんなある日 相変わらず体調も悪く手術跡も痛み ぶつぶつと愚痴をこぼしながら「私、この間まで元気だったのに・・」と 主人の前でつぶやくと 主人はぴしゃりと言った「時間が戻せるのか?」
驚いて 主人の顔を見つめると「時間は元に戻せない。おまえの辛さも痛みもわかる。でも人間は 今を生きることしかできないんだから・・」と そのあとの言葉を飲み込むように だまってしまった。

男はだまって・・の見本のような主人が そんなふうに言ったのだから きっと見るに見かねてのことだったのだろう。でも おかげでそれ以降 愚痴も「私、元気だったのに・・」も ずいぶん少なくなった。

私だって時間が 元に戻らないことなど 承知している。でも 現実が厳しすぎて 耐え切れなかっただから 過去を見ていたのだと思う。主人の一言は 私に現実を見ることを 今を生きることを 改めて教えてくれた。そして また 改めて 主人の思いをも 知った。

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がん再発の遺伝子診断法
10月4日

読売新聞10月4日付けの夕刊に気になる記事を見つけたのでご紹介します。
以下読売新聞記事より抜粋

「乳がん患者再発の危険性
遺伝子診断法を開発
乳がん患者が治療後にがんを再発する危険性がどのくらいあるか。

がん細胞の染色体の異常を遺伝子診断技術を使って判定する診断法が、日本医科大の江見充教授と東京大医科学研究所のグループによって開発された。
危険性が高ければ再発を防ぐ治療を始める手がかりに、無ければ無駄な治療を減らせる利点がある。
個人ごとの遺伝子の違いで治療法を使い分ける「オーダーメード医療」の先駆けとなる成果で、四日から横浜市で始まった日本癌学会で発表される。

がん再発の危険性は、現在、腫瘍の大きさやリンパ節への転移などを基準に判断している。
早期の乳がん患者の場合、リンパ節への転移が無ければ、予後は良好とされ、負担の大きい抗ガン剤の使用などを控えることが多い。
だが、
リンパ節転移がなくても、約7%の人が五年以内にがんを再発するため、より精密な判定法が求められていた。
江見教授らは、乳がんの切除手術を受けた504人の患者を五年間にわたって追跡調査し、染色体の異常と再発の関連を分析。
その結果、
23対ある染色体の一番目の特定領域が欠けている患者は、転移がなくても、62人中9人(15%)が、がんを再発していることが分かった。この部分が欠けていない142人の再発は,3人(2%)だった。
長野県内では、同県がん検診センターを窓口に、乳がんの治療が可能な全施設が、この判定を試験的に採用している。 また癌研究会付属病院(東京都豊島区)も協力し、全国で一年間に乳がんの手術を受ける患者の約一割に当たる600人を対象に、その効果を確かめるという。

がん患者にとって最大の関心事であり 負担である再発を少しでも防止する為に よりよい医療が 等しく受けられることを 心から望んでいます。

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全米ガン協会
8月17日

少し前のことになるが 「ガンと闘う患者主役の治療へ」というNHKの番組を見た。
自分自身が乳ガンになって以来 ガンという病気や 治療の方法については 少し知識を得たものの 日本の医療と外国の医療の相違点や ガン患者を取り巻く環境については ほとんど わからないままだったが この番組を見て かなりショックを受けた。
まず アメリカには 全米ガン協会という 患者や家族 ボランティアからなる強力な団体があり 様々に キャンペーンや患者家族への支援 医療機関や政府への働きかけをしており じつに年間500億円という 寄付が 個人団体から寄せられ ているという。
日本には それに値するような 団体があるのだろうか? 日本ではまだ ガンを告知する事が 検討されているというような 現状で 仮に私のように告知を受け 自分がガン患者であることを 知っていても それを周りに話すことは 非常に むつかしい。
アメリカでも以前は ガン患者であることを 公表することは 難しい問題であったが 前フォード大統領夫人が 乳ガンであることを公表し 患者への理解支援を求めて以来 急速に ガン患者への認知がなされ 患者や家族への支援が積極的になされるようになった。
また 4年前 クリントン大統領は全米ガン協会等の要請を受け ガンの新しい治療法の承認を半年にし 患者の自己決定権法を 立法した。
番組で取材していた病院の場合 担当医 放射線科医師 ガン専門医ら複数の医師から 告知と治療方法を聞いた患者は 必要があれば すぐにカウンセラーと会い 家庭環境や 心理状況等を 考慮されたうえで 相談を受けることができる。そして 複数の治療方法の中から 自分自身が最良と思える治療法を 選択するのである。
新抗ガン剤や 新薬承認の 諮問委員会にも 医師と患者が 参加している。
常に 治療の主役は 患者なのだ。そして情報は開かれている。
新抗ガン剤(臨床最終段階の薬)1400件の情報がインターネットで公開されていて 患者も知ることができるし その使用を医師に相談することもできる。日本の医療の質が アメリカに並ぶのには あとどのくらいの年月が かかるのだろう・・・ 今も アメリカの 医療体制が すべて良いとは 思わないが 私なら 自分の納得いく治療法を選択したい。
あなたは いかがですか? 

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始めてのアンサンブル
7月14日くもり

今年の一月から フルートのレッスンに通っている。
始めてフルートを持ったのは 8年前。主人から誕生日プレゼントに 何が欲しい?と 聞かれて 何故だか「フルート」と 答えた。特に理由があって欲しかったのではなくて ただ 「演奏できたらステキ」等という ミーハーな動機だった。
ともかくフルートは手に入ったが 教えてくださる先生が 近くに見つからず 当時次女も幼くて 結局 自己流で 練習だけはした。若い頃の一時期 ピアノを弾くことを 職業にしていたことが あるくらいなので かなりいろんな楽器に 親しんだことがあり フルートも やればできるくらいにしか 考えていなかった。

しかし がんばろうと りきもうと 練習をつもうと 私のフルートからは とてもフルートとは思えないような 情けない音が出るばかりで とうとう挫折してしまった。
でも ほんの時折 気まぐれに 磨いたり音を出したりしていた。次女が3年生になったある日「ママ フルート習いたい」と 言い出した。内心はうれしかったが うれしさを押し殺し「おけいこは 厳しいけど できるの?ママだって未だに 吹けないんだから・・」と脅した。
「がんばる!」という娘の為に 先生を捜すと 都合良く家から10分程の音楽教室でフルートのレッスンがあるという。娘を連れて通い始めて一年ほどで 私が病気になり 半年レッスンを休んだ。
そして 今年一月再開したのを 機に 私も長年の夢だった フルートらしい音を出すべく 娘と共にレッスンに通い始めた。先生から発表会の お話があり 娘だけだと 思っていたら「親子でアンサンブルは いかがですか?」と 勧められた。

一度はお断りしようと 思ったけれど もしかしたら二度とない娘との思いでに なるかも知れないと考えて出席させていただくことにした。
45才。娘と二人始めての発表会。想像するだけでも心臓がドキドキする。日頃の動悸だけでも 充分なのに・・・
娘と二人で 練習を重ね とうとう発表会当日。
娘は朝から「頭が痛い」と 言う。緊張のせいだと思っていた私は「大丈夫。きっと上手にできるよ。ママがついてるから」と 会場へ急ぐ。
出番を待っている間に 娘が「ママ 寒い」と 言い出す。
「冷房が 効き過ぎかな?」と 娘を抱き寄せると 熱い。熱がある きっと38度は超えている。
ショック!そういえばずいぶん辛そうだった。
緊張のあまり 周りが見えていなかったのは私だった。
先生にお話しして帰ろうとした時 娘が「いままで 練習してきたんだから ちゃんと 発表して帰りたい」と 言った。
先生はプログラムを変更して私たちを 一番にしてくださった。
娘は 赤い顔をして 最後まで 演奏した。けっして上手とは 言えないけれど懸命さは私の胸に滲み 娘がちょっぴり 大人になった気がした。
飛んで帰ると 38度7分の熱。ぐったりとした娘は かわいそうだったけれど 忘れられないアンサンブルになった

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母の日のミニバラに学んだこと2
6月28日 あめ

母の胸の内シリーズ 完結編(笑)
日頃 衝突ばかりしている長女から 母の日に もらった 赤いミニバラの鉢植え。
うれしくてうれしくて あきるほど眺めていた。 
小さな堅いつぼみが 数え切れないほど たくさんついていて  少し膨らみかけた蕾が五つ しっかりと咲いた花が三つ・・・

そういえば たくさんの蕾をつけた様子は まるで 娘のようで(ほめすぎかしら?)輝くようなエネルギーと明日への希望に満ちあふれている。
私は このミニバラが 心から愛おしくせっせと 世話をやいた。
朝に夕に水をやり 我が家の庭に置いて もし虫がついては大変と 自室に置いて 時折 話しかけたりもした。
適度に日に当てたり 風にあてたり・・下へも 置かぬ おもてなしをしたが そのかいあって 蕾は日毎に開き 美しく 私をなごませてくれていた。
しかし 花が15ほど咲いたのを汐に 次々と蕾のまま枯れ始めた。
あわてた私は 水が足りないと 思いこみ いっそうたっぷりと水をやった。
それなのに枯れ始めた蕾は 茶色になりポタポタと落ちてしまった。
しかたなく 涙ながらに枯れた枝を切った。ずいぶん小さくなった鉢植えに「ごめんね」とあやまりながら また 水をやった。

それから3日後 とうとう最後の蕾もかれてしまい無惨な姿になったミニバラを 胸に抱え 庭で花の手入れをしている父に 見せた。
父は見るなり「根が 腐ってるから これは だめやね」と言う。
「水やりすぎたねぇ。花が 水を 欲しがったらあげたらいいんだ。乾けばやる。 土が乾いてるかどうか それさえ見てればいいのに・・・
それに あわてて葉を切ってしまったようだけど 葉を切ると水を吸い上げることが出来ないから ますます 枝先の蕾は 枯れてしまうよ。」
父の言葉を聞きながら 娘に申し訳なくて 悲しくて・・・

その時ふと 気がついた。そうだ 子育ても同じようなもの。大事に大切にと 思うあまり 子供達にも 水をやりすぎてはいなかっただろうか?
乾くまで待てなくて。子供達の一番大切なことを 見逃してはいなかったろうか?
娘よ!ごめんなさい。お花を枯らしてしまったけど 母は 新しいことに気がつきました。ありがとう。 

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母の日のミニバラに学んだこと1
6月6日 くもり一時あめ

母の胸の内シリーズ(笑) 第2弾

5月の第二日曜は 母の日。
娘達は 毎年プレゼントを 準備していてくれる。
エプロンだったり 肩たたき券だったりで 私も 心ひそかに 楽しみにしている。
母なればこそ いただける 子供達からの贈り物は 母親以外に これといって 取り柄も役目もない 私に 少なからず 自信を与えてくれる。
相変わらず 日曜日には いそいそと お出かけの長女。
「まっ 若いんだからしかたないか・・考えてみれば 私だって 高校生活を しっかり エンジョイ(死語かしら?)していたものねぇ」と つぶやきながら 後ろ姿を 見送る。
そして 家族の夕食もすっかり済んだ夜8時 「ただいま〜」と 元気よく ご帰還の娘。
私は 少し淋しく思いながら 「母の日くらい 家で一緒に 夕飯食べればいいのに・・・」と つぶやきながら 出迎えにも でないまま 声だけを 張り上げて「おかえりなさ〜い」。

いつもは 自室に直行の 娘が 珍しく「ママ どこ?」と 呼んでいる。
「げっ 彼女が私を 呼んでるなんて お小遣いが たりないか 困ったことが 起きたのか・・」と思いつつ 「ここ〜」と 叫ぶ。
部屋に入ってきた 娘は 紙袋を コトンと 置くと そのまま さっさと 出ていった。
さては たまった洗濯物かと 紙袋を のぞき込むと そこには 赤いミニバラの鉢植えが すてきな カバーに 入ってあった。
そっと とりだすとたくさんの蕾を つけた ミニバラが 少し恥ずかしげに 「Thank you MAMA」の カードと共に ゆれていた。

このところ 何かにつけて 娘とは 衝突ばかりしていたのに・・・ 
感激で 胸がつまった。
娘を 追いかけて 抱きしめながら「ありがと!! ママ バラが だいすきだから とっても うれしい。ほんとに ありがと」と さけんだ。
久しぶりに 抱きしめた 娘の体は 私より 大きく エネルギーに 満ちあふれているようだった。

改めて 娘の成長を 認めないわけには いかなくなった。

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思春期と更年期
5月15日 くもり一時あめ

今日は 母としての胸の内を・・・

私の長女は 16才。ただいま青春真っ最中です。
さすがにコギャルタイプではありませんが、今は ビジュアル系インデーズバンドなるものに 夢中で 休日は「キャッ!」と 驚くようなメークと装いで 大阪のアメリカ村と呼ばれる場所へ いそいそと お出かけになります。
 しかし これが 母にとっては 悩みの種。
「いくらなんでも もうちょっと かわいいお化粧でけへんの?」 「アメ村やったら こんな顔ふつう」
 「夕方には電話するのよ」 「うん。」と元気よく 応えて 厚底ブーツをカタカタならせ 駅へ向かって走っていきます。
母は苦々しく 娘を 送り出します。

 そして夕方「まだ お友だちと一緒にいるから夕飯いらんよ」 「あぁ そう。でも8時までには お帰りなさいね」
「え・・・・ぅん」不満げに 娘は 電話を切る。アメリカ村から我が家まで約一時間半。
それを考えると 娘には不満な門限であるのは 承知の上で 私は8時の門限を死守している(笑)
 しかし 娘も負けずに 「今度 ライブに行くから その時は8時には絶対帰られへんから・・」 「じゃぁ 何時になるの?」 
「えーっと12時くらいかな・・」 「えーーとんでもない。そんな時間のライブなんて 行かんでよろしい!」(このあたりになるとかなり 血圧が あがっている)
「ママは 古いわ!今頃だれでも ライブくらい行くって!!」(娘も必死に食い下がってくる )
「だって16才の娘が そんな時間に外にいるなんて ふつうじゃないよ」 
「だって 普段は門限守ってるやんか!ライブの時くらい いいやんか」 と言うふうに 延々と続くのです。

しかし なにしろ 母は病気を引きずっている上に 薬による更年期真っ最中。
冷静に冷静にと 思っても ついつい声は大きくなるし 息はぜいぜい。
それに 比べて娘は 栄養満点エネルギー満タン。
そこでつい「パパに聞きなさい」と 主人に助けを求めます。
しかし 主人は 「自分の事を しっかりと 管理できるのなら 行きなさい」と あっさりOK。
思わぬ事態に 今度は主人相手にぶつぶつと・・ 
自立させる為には 本人に任せることも必要と 頭ではわかっていてもいざとなると まだまだ幼さが 目について心配だらけの母は 時として ヒステリーの嵐を 巻き起こしています。

今 娘の背中には「取り扱い注意」の札が 下がっています。

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さくらさく

4月14日 時々

今日は4週間に一度の痛いゾラデックス注射の日。
ところが いつもは 気の重い病院への道も 今日は心軽やかに 足取りも軽くお花見がてらの通院です。
私の通う病院はゴルフ場に隣接した 緑豊かな丘陵にあって 知る人ぞ知る 桜の名所なのです。毎年桜の頃には 必ず訪れていましたが 自分が患者となって 病院に通うようになるとは 思いもしませんでした。

病院の自動ドアが開く度 桜の花びらが なだれ込むように 入ってきて 受付も 会計も 桜の花びらで飾られていました。こんな侵入者なら 大歓迎です。

時折吹く柔らかな風に 桜の花びらが はらはらとはらはらと 散りゆく様は 息をのむほどに美しく 
強い風に あおられて まるで薄紅の雪のように 降り積もる様は いさぎよいまでに 美しく 
花の盛りに きっぱりと 散りゆく様は うらめしいほどに 美しく
それだからこそ 花ならさくら と 愛でられるのだと 改めて思いました。

私の発病以来 とても優しくなっただんな様に 病院まで 迎えにきてもらい 二人して 今年の桜を 眺めました。
手のひらに ひとひら 止まった花びらを そっと バックにしまい込み 今日の日の思い出にしましょう。今日の日を生きた 思い出に・・・・
また ここで お逢いしましょうね。  

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読売新聞医療ルネサンスより

4月5日 

乳癌の手術の際に 腋の下のリンパ節も切除したのですが 手術から9ヶ月たった今も 腋から 胸と背中にかけて 不快感が消えないし 時々は 訳の分からない痛みもあります。主治医との 話し合いの中で 一番納得できなかったのが リンパ節の切除でした。そのリンパ節切除に関しての新しい手術法を 読売新聞で見ましたので 以下抜粋してご紹介します。

ガンの手術は 周囲のリンパ節も大きく切除することが多く、後遺症が起きやすい。乳ガンでは、脇の下のリンパ節を取るため、手術後に腕がむくんだり、上がりにくくなったりして悩む人も少なくない。
これを防ぐ検査法が登場した。ガンが最初に転移するリンパ節を探して組織を調べ、ガン細胞があれば、周囲のリンパ節も切除するが、ガンがなければ「転移なし」と判断、切除しない。不必要なリンパ節切除を 避けることができる。
ガンは一定のリンパ管の流れに乗って移転するとの考え方に基づく。ガンが最初に運ばれる場所は「センチネル(前哨)リンパ節」とか、転移を監視する「見張りリンパ節」と呼ばれる。千葉県柏市の国立がんセンター東病院では、体に害のない放射性物質をガンの周囲に注射し、放射線検知器で集まる場所を探す。これが見張りリンパ節だ。手術時に色素を注射し、肉眼でも確認する。98年からこの検査を200例以上に試験的に行い、リンパ節転移の有無を正しく診断できた割合は97%。昨年夏からは、ガンの大きさが、3,4センチ程度までの早期ガンを対象に、実際の治療に応用している。
これまでリンパ節転移を事前に調べる確実な方法がなく、一律に切除していたが、乳ガン患者の6割には 転移がなく、結果的に無用な切除になっていた。同病院乳腺外科医師の井本滋さんは「百年前から続いてきたリンパ節切除を根底から変える方法」と説明する。3%程度の見逃しは避けられないが、再発しても治療は可能。欧米では、この検査を使って治療する場合と、従来通りリンパ節を一律に切除する手術の生存率を比べる臨床試験が行われており、井本さんは「恐らく成績は変わらない」とみている。

 詳しくは ヨミウリオンライン Yomiuri On-Line 医療ルネサンスで ご覧下さい。

患者にとって より負担や苦痛の少ない治療方法を 選ぶことができ 地域格差なく最新の治療が受けられるような医療の為に 私たちは何ができるのでしょうか?

またここで お待ちしています。 

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健康診断

2月25日 時々

先日、1年ぶりの健康診断(人間ドック)を受けました。34才で次女を出産以来 彼女が成人するまでは 元気でいるのが 母さんの仕事と 思い 毎年健康診断を受け続け 10年目の昨年 乳ガンを発見 怒濤の一年を過ごしました。

さすがに 今年は結果が出るまでは 心配で ドキドキしていましたが 今のところ 何もありません。早期に乳ガンを 発見できたのも かかさず健康診断を受けてきたからだと思う反面 自分自身ではしこりや不快感痛みなど 何も感じておらず 手術や薬の副作用で 不快な日々を送るにつけ あんなに元気だったのに・・と 何か割り切れない思いもわいてきます。まぁ 乳ガンでも 元気なら いいか・・・なんて よくわからないことを思いながら 暮らしている今日この頃です(笑)

また ここで お待ちしています。 

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雛飾り
2月13日 時々

今日は お雛様を 飾りました。

娘二人のために 二つのお雛様を 飾りながら 昨年の春を 思いだし 一昨年の春を 思いだし そうして とうとう飾り終える頃には 娘達が 産まれて このお雛様を 買い求めた頃にまで 思いは さかのぼります。

記憶の中では すべてが 懐かしく 10年も15年も 昔の 子供達の 肌の感触や ミルクの匂いが蘇ります。

夜泣きの激しかった長女を おぶって歩き回った春の夜。
子供より もっと不安だった 幼稚園の入園式
6年も 待ちくたびれた 次女の誕生

言葉に ならない たくさんの 記憶が 蘇ります。
いつもは 少し薄暗い 和室が まるで 今 春がきたように 華やかになりました。

お雛様は 本当は お母さんの 思いで箱 なのかも知れませんね。

また ここで お待ちしています。

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私を過ぎる風

2月1日 

少し前のことになりますが、入院していた外科病棟の婦長さんから 絵葉書をいただいたことが あります。私の事を ご心配して下さる文面と共に、その 絵はがきには 星野富弘さんの詩と コスモスの絵が 書かれてありました。

風は 見えない  

だけど 木に吹けば 緑の風になり 花に吹けば 花の風になる

今、私を過ぎていった風は どんな風に なったのだろう

 この詩を 前にして 私を 過ぎていった風が せめて あたたかでありますようにと 心から 願いました。

では また お待ちしています。

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近況報告

1月21日時々

今日は 大阪にも雪が舞うほどの 厳しい寒さになりました。子供達は雪が積もるのを楽しみにしていますが 私は 洗濯物が乾かないので あまりうれしくは ありません。(笑)

先週 抗ガン剤治療を 中止しました。予定では6クールでしたが、昨年末より 動悸や息苦しさ 胸の圧迫感等に悩まされ(心臓の検査では異常なし)何とも言えない不快感が 続いています。その為主治医と相談し 抗ガン剤治療は中止することに しました。予定の半分しか受けられなかったことに対して 一抹の不安はありますが 今の私自身には 最良の決断と 思っています。

今はまだ いろんな思いが重なり合って 精神的にも不安定な日々を 送っていますが、今闘っているこの病気も 初恋や 出産のように 私自身の人生の彩りの一つと 感じることができれば いいな と思っています。

では また お待ちしています。

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いのち輝いて 乳がんと共に